万葉集最後の歌

2020年12月30日 20:01

万葉集20ー4516   大伴家持

歌意
新羅咎め、お出しになられる。防禦示す。矢降り浴びせる。武具は続けて作れ。夜鍋して。

 天平宝字3年(759)、正月一日の『続日本紀』には、時の天皇淳仁が太極殿で、渤海国の国王大欽茂の国書を携えて来た使者揚承塵らを謁見した記事が記録されている。当時の東北アジアは混乱していた。唐では安史の乱が起こり、渤海は日本と組んで新羅を圧迫しようとしていた。新羅の聖徳王は即位元年(742)、すでに日本国使節の来朝を拒絶している。日本と新羅の間は先の見えない状況だった。

 家持は「新年」の二字で「新羅咎め」「新羅討伐令」を表しているのだから驚きである。従来訓は、「新」一字をむりやり「あたらしき」と五字に引き伸ばし、「年の初めの初春の」と続けているが、「初春」とは「新年」のことではないのか。ただ新年を表すのに上の句五七五の全てを使うなど大伴家持にはありえないことだ、となぜ疑問を持たないのだろう。

 家持の先祖は鉄づくりに長じた穢系の伽耶人であった。万葉集の最終歌20ー4516が詠まれた時、家持は42歳。68歳で死去するまでの26年間、政争に巻き込まれながら、家持は何を思っていたのだろう。『万葉集』は、日本国誕から独立までの裏舞台を余す所なく見せる歌の歴史書であったので、これ以上集める必要が無くなったとして20ー4516を最後としたのではないか。

 日本は韓半島の高句麗、百済、新羅が三つ巴になってつくって来た国であった。家持は20ー4516歌で、時の朝廷の「新羅との訣別」を代弁したと言えよう。当時の日本は新羅と袂を分かち、唐とも決別しようとしていた。日本は「日本」として独自の道を歩み始め、平安時代という華やかな国風文化の最盛期を迎える。

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