4268、天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株拔取令持内侍佐々貴山君遣賜大納言藤原卿并陪従大夫等御歌一首 命婦誦曰
此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利
従来訓
4268、この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり
真の歌意
この鉄処は、立て続けに鉄集めては積んで置き、夏だと言って遊んでいるので、私が行って見た所、鉄吹き、鉄磨きすべて足りない。
天平勝宝4年(752)夏4月9日東大寺の盧舎那大仏像が完成、開眼供養をした。孝謙天皇は、文武百官を引き連れて東大寺に行幸、盛大な法会を行った。この歴史的な日の夕、孝謙は母光明子太后と共に、藤原仲麻呂邸に行き、そこに住み始めたのだ。
邸についた女帝はまず黄色い葉の沢蘭を一株抜き取り、佐々貴山君に持たせ、迎える仲麻呂ら一同の前で自作の歌を詠ませた。歌のモチーフは「黄葉」。日本語「もみち」の語源はモッミチ。「行き届かないこと」「及ばないこと」。足りない意の古代韓国語モッミチが日本語「もみち(紅葉)」に転じている。秋になり水分が行き届かなくなるため色づく葉っぱ。水分の不足によって紅葉になる。日本語は誕生の時点からもうすでに詩なのだ。