43 光明子は文武天皇の娘である

2020年12月29日 14:49

万葉集19−4224  藤原皇后

4224、天平勝宝2年10月5日 年紀 作者:光明皇后
朝霧之 多奈引田為尓 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戸能波義

従来訓
朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩

真の歌意
吉野の道は「奪い返した道」です。財産、地位、権力すべて投げ打ち、かつて隠棲されたこの地に、私たちは今やって来たのです。ロバは知っているかのようです。お父様のおられた場は大きく変わったのです。

 この歌は文武と光明子の関係を証明する決定的な文献である。8世紀の日本を輝かしく拓いたこの父娘の血のつながりを明かす証拠は、今のところ『源氏物語』とこの歌しかない。

 いつ詠まれたのかもわからない、膨大な『万葉集』の片隅で、冴えない存在のしかも難訓歌だったこの皇后の作品。しかし解いてびっくり。おそらくこれほどの秘密文献もあまりないのではないか。かつて追われる身で父の通った道を「今、取り戻した」と喜んでいる初句。

 光明皇后が同行した、聖武天皇の吉野行幸は計3回。聖武即位直後、父の長年の住処であった吉野に行ってみたいと同行、そこで荒れ果てた吉野宮一帯を見て改装を断行、そして一年三ヶ月後2回目の行幸が改装祝賀を兼ねて行われたのではないだろうか。

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