76、和銅元年戊申 天皇御製
大夫之鞆乃音為奈利物部乃大臣楯立良思母
従来訓
76、大夫(ますらを)の鞆(とも)の音すなり物部(もののふ)の大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも
真の歌意
「相対して戦おう、双子よ!」と亡霊の声。鞆の音も聞こえる。大臣、斬ることできず。楯立てて防げという。ほとんど最後という時。
和銅元年は西暦708年。この前年の慶雲4年(707)6月15日、文武天皇が亡くなる。7月元明天皇即位。翌708年春正月、武蔵野国秩父郡から和銅(精錬を要しない自然銅)が算出されたことから、年号を和銅に変えた。そして和銅元年に佐留=柿本人麻呂も亡くなった。斬首後水刑死という遺体も残らない残虐な刑罰だった。文武は最後まで人麻呂を守ったが、文武の死後不比等は人麻呂を殺した。
藤原京で何が起こっていたかを教えるのが元明作1ー76である。「相対して戦おう!」なんとも恐ろしい亡霊の一喝ではないか。元明の寝所に亡霊が現れているのである。文武か人麻呂か?亡霊は夜な夜な出没する。宮中はパニック状態で、もうほとんど限界という時、大臣の石上麻呂は提案する。「新たに大々的な即位式をあげよう。」