8 天武天皇吉野落ち

2020年12月12日 09:47

万葉集1−25  天武天皇

天皇御製歌
25、三吉野之耳我嶺尓時無曽雪者落家留間無曽雨者零計類其雪乃時無如 雨乃間無如隈毛不落念乍叙来其山道乎

従来訓
天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
25、み吉野の 耳我(みかね)の嶺(たけ)に 時なくそ 雪は降りける  間(ま)無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと  その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来る その山道を

真の歌意
水の吉野に行く(戦いが長引きそうだ)。耳我嶺(みみがだけ)に出発しよう(胸がつぶれそうだ)。
悲しくてどう行こう。また逢おう。無念でこのまま行ってしまえない。ああ、悲しい。発つことにしよう。
ああ、無念だ。逢うことにしよう。熊の季節がやってくる。重詐立つ。だから迂回しよう。

 重詐とは「軍兵、人材、財宝を得て、襲爵したり官職を手に入れるのに大吉である」というもの。三吉門と三奇を合わせ、陰神の力も合わせた上で九地に位置し再び吉門に入ることを意味する。(諸葛孔明『奇門遁甲秘及法』)
 はじめて天皇という称号を用い、初めて日本という国号を定め、はじめて富本銭を鋳造した天武天皇。赤髪、赤髭という特異な風貌で、常に5本の刀を背負っていた。『金海兵書』を著した兵法家でもある。又の名を淵蓋蘇文=ヨン・ゲソムンといい、高句麗の大宰相・大将軍でもあった。大陸、半島、列島をまたにかけて活躍した7世紀に生きた国際的政治家。母は日本の名門一族出身。父は高句麗の宰相。大海人皇子その人である。

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