泊瀬朝倉宮御宇天皇代
1、天皇御製歌
篭毛與美篭母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒家吉閑名告紗根虚見津山跡乃國者押奈戸手吾許曽居師吉名倍手吾己曽座我許背齒告目家呼毛名雄母 従来訓
泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
1、籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名のらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾(あれ)こそ居れ しきなべて 吾(あれ)こそ座(ま)せ 吾(あ)をこそ 夫(せ)とは告らめ 家をも名をも
真の歌意
狛よ、瑞穂の狛たちよ。復旧の者達よ。この丘に私は先代と並び立ち、家を作り告げて住もうと思う。新羅、百済、大和の国は押さえおきて 統治者は私一人である。鎮めねかして私は自ら位に就く。私は急ぎ来て告げる。ここに来る、出てくると。
この歌は、日本に住んでいる朝鮮系同胞に向かって、支持と団結を訴えた政治的スピーチ、即位宣言である。それにもかかわらず、この歌がロマンチックな求婚歌に見えるのは、採択されている字句が、非常に美麗で田園的雰囲気を伝えるからであろう。
作者の雄略天皇とは天武天皇のこと。天武は高句麗の大莫離支(大宰相)・大将軍の淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)、その人である。