古代韓国人の二大部族は濊人と狛人だった。濊人のトーテムは虎、狛人のトーテムは熊である。古朝鮮の建国神話によると、「天帝桓因の庶子桓雄が部下を率いて太伯山の神壇樹に天下りした。この時一匹の熊と一匹の虎が人間に化生することを桓雄に願った。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与え、100日間日光を見ないように告げた。熊は熊女となったが虎は物忌みができず人間になれなかった。人間に化生した熊女は桓雄と結ばれ、檀君王検を生み檀君は平壌を都に朝鮮を建国した」とある。
つまり濊族は狛族に敗北し、韓半島を南下、洛東江の流域に伽耶諸国を建国、その一部が古くから日本列島に進出したのだ。前方後円墳は伽耶諸国と日本にのみ存在しているのがその証拠である。なぜ前部が方形で後部が円形なのか?その答えは簡単だ。方形部分が鉄器倉庫であり後部は墳墓である。
韓半島南部の港から船出し対馬海流に乗ると、かなりのスピードで津軽海峡を横断し、親潮に乗って南下、黒潮と親潮がぶつかる三陸沖で止まり三陸沿岸に流れ着くという。日本の東北地方に居住した蝦夷の呼称は「エェミジ=濊の土地」という意味から生じた。虎をトーテムとする濊族が最初に住み着いた三陸沿岸地方には虎舞という郷土芸能が現在に伝わっている。日本に生息していない虎の舞がなぜ三陸に、という謎がここで解ける。(九州地方にも虎舞があるが、これは朝鮮出兵の際の加藤清正の虎退治に由来している。)
三陸沿岸の宮古地方の方言には独特のイントネーションがあり、東北弁の中でも特異であるが、これがなんと韓半島南部(古代の新羅や伽耶諸国が存在した地方)のいわゆる新羅言葉のイントネーションと酷似している。岩手県宮古方言の謎もここでうなづける。