絵ピソード

その83

   645年大化の改新と672年の壬申の乱は、日本が天皇制と律令制を確立した革命でした。1192年鎌倉幕府成立は、貴族の世から武士の世に変わった革命でした。1603年江戸幕府成立は、戦国時代を終わらせ260年に及ぶ国内平和をもたらした革命でした。1868年明治維新は、長い鎖国を解き日本が近代帝国主義国家に変身した革命でした。1945年太平洋戦争敗北は、日本に平和と民主主義をもたらした革命でした。そして2019年の今、日本は再び大きな曲がり角を迎えています。

   第二次世界大戦後、世界史上かつてないほどの地域戦争や局地戦争に明け暮れた20世紀後半の世界で、日本国民は73年間も平和を享受してきました。これはひとえに、日本国憲法第9条に守られてきたからに他なりません。しかし、民主主義とはいえ、戦後ほぼ自民党独裁政治です。そして独裁権力は絶対的に腐敗するのです。
   保守勢力の分裂で、1993年非自民連立内閣がやっと成立しましたが、1955年体制確立以来対立してきた社会党と手を組むというあっと驚く老獪な手法で簡単に自民党は政権を取り戻しました。その後、橋本内閣によって消費税が5%に引き上げられ、次の「日本史上最大の借金をした総理大臣として名がのこる」と自分を責めた小渕総理大臣が現職中に急死、密室政治で総理大臣になった森内閣はたった1年で崩壊、「自民党をぶっ壊す」というキャッチフレーズで総選挙に大勝し、5年もの長期政権を敷いた小泉純一郎内閣によって日本国民の生活は、民営化、規制緩和の名の下に完膚なきまでにぶっ壊されました。
   後継の第一次安倍内閣は腸の病気とやらで1年の短期政権に終わり、続く福田内閣、麻生内閣も短命に終わりました。そして民主党中心の連立内閣が成立し、歴史的な政権交代が起こったのが2009年9月。しかし鳩山内閣は、鳩山総理大臣の国民生活とかけ離れたお金持ちの出自ゆえの宇宙人的発言によって1年も持たず、続く市民活動家出身の菅直人内閣。目新しい内閣はどうなる、と注目したのも束の間、1年も経たずして2011年3月11日東日本大震災が起こります。大津波が政権をも襲いました。さらに原発のシビアアクシデント。東工大出身の総理大臣は原発事故の恐ろしさを知っているが故に動きすぎて不興を買います。しかしどんな政権でもこの国難をうまく収めることはできなかったでしょう。福島第一原発の故吉田所長が、東日本壊滅を覚悟したほどの大事故だったのです。

その84

  2011年9月に総理大臣となったのは野田佳彦氏。「私のニックネームはドジョウです」とおっしゃいましたが、なるほどとらえどころがない。マニフェストにもない消費税8%の増税にうって出て自爆、2012年12月の総選挙に歴史的大敗を喫し、再び自民党に政権をプレゼントする始末。目が点とはこのこと。一体野田ドジョウ総理は何のために国民を苦しめる増税をしたのか。誰も引きたくないババを何故進んで引いたのか、官僚に丸め込まれたのか、自民党のスパイだったのか、今もってわかりません。
   そしてまたまた我らの安倍晋三選手、いや総理の再登板です。腸の病気って何だったのというくらい元気。トイレに駆け込むことなく絶好調。何と桂太郎首相の在任期間を抜いて、歴代最長政権確実とみられています。それどころか任期いっぱい務めると、何と3567日になるのだとか。ほとんど約10年 。まじっすか。世界中極右勢力が幅を利かせている今日この頃ですが、安倍内閣も同様で最近のいわゆる「在庫一掃内閣」20人のメンバー中15人が日本会議と言われる極右勢力のメンバーといいますから、トレンドをしっかり押さえています。誰が脚本を書いているのかはわかりませんが、祖父も大叔父も総理大臣という毛並みの良さはピカイチで、奥さんのコントロールにやや難がある以外は申し分ないのですが、国民目線には絶対に立てない典型的雲上人です。神輿に担ぐには最適キャラでしょう。
  安倍内閣は、2019年10月、もはや打ち続く自然災害と、「働けど働けど  我が暮らし楽にならざる  じっと手を見る」状態の低賃金に打ちひしがれている多くの国民に最後のとどめを刺しました。消費税10%の増税実施です。わが世の春を謳歌しているかにみえる安倍内閣と与党自民党。しかしバカですよね、国民を貧困に落とし込んで何が嬉しいのでしょう。デフレも少子化もストップできずに何が楽しいのでしょうか。内需85%で保っている日本経済なのに、消費者たる国民を苦しめたら日本経済が崩壊するという簡単なことが何故わからないのでしょうか。次の選挙しか視野にない政治家と、私腹を肥やすことしか考えない官僚しか日本にはいないのだとしたら、そんな国に生存理由などありません。人口が0になる日まで 、今しばらくお待ち下さいというしかないですね。

その85

   日本経済は、明治以来の軍国主義・帝国主義政策による戦争に次ぐ戦争の最後に大負けし、瀕死の重傷を負いました。臨終宣告かと思われたその時、米ソの代理戦争である朝鮮戦争が起こり、米軍の特殊需要がどっと日本に舞い込み、日本経済は奇跡的に死の淵から蘇りました。そもそも第一次世界大戦までに重化学工業まで確立し、資本主義経済が成立していた日本ですので、回復は目覚ましく、世界史上空前絶後の高度経済成長を遂げ、国民の所得は10年で倍増しました。
   しかし1971年のドル危機、1973年の第1次石油危機に直面して、さすがの日本経済も安定成長に落ち着きました。でも家庭を崩壊させるほど働く会社人間、企業戦士の日本国民ですから、日本経済の躍進は止まらず、GDPは世界2位になりました。さらに後先考えずに集中豪雨的な対米輸出を続けたため、ついにアメリカの逆鱗に触れ、プラザホテルに竹下総理大臣が呼びつけられました。いやゆるプラザ合意です。日本は、「円は安すぎる、円高合意をせよ」という脅迫に屈しました。
   1985年9月のプラザ合意の時、1ドル=240円だった円は、翌年1986年の夏には1ドル=150円に急騰しました。激しい円高により輸出企業は大打撃を受けます。多くの企業が生産拠点を海外に移したため、産業の空洞化という事態を招きました。円高を防ぐため日銀は1984年に5、0%だった公定歩合を87年には2、5%に引き下げました。そのため今度は莫大な金余りが発生、資金が土地や株に流れ込みいわゆるバブル経済をを引き起こしました。
  日本人は誇りだった「清貧の思想」「吾れ唯だ足るを知る精神」という理想をかなぐり捨て、バブルに狂奔しました。お堅いはずの銀行までがろくに身元も調べずにヤクザ企業に大金を貸し出します。不動産デベロッパーは、マンハッタンの由緒あるビルを相場の3倍で大人買いし、ついでにニューヨークっ子の顰蹙と軽蔑も買いました。
   バブルの運命は必ず弾けることです。ついにバブル経済は崩壊し、日本人は「失われた30年」、又の名を平成時代という奈落の底に突き落とされました。

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