絵ピソード7

その37      岩手日報2019年5月14日朝刊に「縄文人のDNAの10%を現代日本人が受け継いでいる」と言う記事が載りました。それによると「今から3000年前に、朝鮮半島から稲作技術を携えて弥生人が渡来し、縄文人と混血したとみられている」ということです。国立科学博物館がゲノム解読を行い発表しました。縄文人と弥生人との混血の度合いは地域で異なっているとみられ、北海道に住むアイヌ民族と、沖縄に住む人の縄文人ゲノムの割合が高かったそうです。日本で稲作が始まった時期は、新しい発見とともに随分と遡っていますし、弥生人って渡来人のことなんだ、と納得です。
    日本史の常識と言えば最古の貨幣は和同開珎であると長いこと信じられてきました。しかし今は違います。まじない銭と思われていた富本銭が棹付きのまま多数発見されたことにより、日本最古の貨幣は富本銭であると歴史は書き換えられました。
    また高市皇子は天皇ではなかったという定説も今や覆されました。高市皇子の息子である長屋王邸後から出た多数の木簡の中の一枚に「長屋親王」と書いてあったのです。親王は天皇の息子か兄弟しか名乗れない称号ですから、長屋親王の父高市皇子はれっきとした天皇であったというわけです。
   このように古代史には謎が多く、まだまだ新しい事実が明らかになると思われます。しかし、古代史の真実を教えてくれるのが、いちおう歴史書である『日本書紀』ではなく、いちおう歌集の『万葉集』であるということは驚き以外の何者でもありません。古代の民族構成は、原住民1に対して渡来人9(あるいは原住民2に対して渡来人8)と、圧倒的に渡来人が多かったというのが今や通説だそうです。とすれば古代の共通語は韓国語であったという事は否定できません。『万葉集』は、韓国語で詠まれていたが故に本当の意味が理解されないまま、改竄されることなく原文のまま今日まで残り、小説よりも奇なる真実を教えてくれるのです。

その38     虎舞という郷土芸能をご存知ですか。福岡県や熊本県、静岡県、長野県、岩手県沿岸の市町村、青森県八戸市などにあります。九州や静岡は朝鮮出兵の際の加藤清正の虎退治に由来するようですが、それ以外の虎舞はいったいなにを意味するものでしょうか。日本には虎がいませんので、虎退治に由来しないものも、やはり朝鮮半島に関係するものでしょう。
    朝鮮半島南部の海岸から対馬海流に乗ると、結構なスピードで日本海を北上し、津軽海峡を越え、親潮とともに南下、黒潮とぶつかって自然に減速し三陸海岸に流れ着くそうです。八戸や岩手県の沿岸に残る虎舞はこのルートで日本に渡り、住み着いた渡来人がもちこんだものでしょう。
     古代朝鮮には二つの部族があり、それぞれ熊と虎をトーテムにしていました。対馬海流ルートで東北の三陸海岸などに住み着いた部族は、虎をトーテムにした穢族だったと思われます。ちなみに熊をトーテムにした部族は狛族です。そしてその混血をヤサカ(韓国語で“混ぜる”という意味)と言いました。やさか=八坂神社は日本各地にありますね。渡来人に二つの部族があり、それが混血し、さらに土着の縄文人と混血し、、、日本人はさまざまなDNAがミックスしてできた民族のようです。万世一系だの純血だの126代も続く家柄など、荒唐無稽としかいいようがありません。全員がハーフとかクォーターとか、、、。それが自然です。雑木林は強く豊かで、人工的な杉林は弱く、病気にかかりやすいですよね。

その39     「645年大化改新、その主役である兄の中大兄皇子=天智天皇、弟の大海人皇子=天武天皇。そして詳しくは分からないけど天武が政権を握ったのは、壬申の乱に勝利したからである。」この程度は日本人なら大体知ってますよね。でも、中大兄皇子と大海人皇子は兄弟ではない、大海人皇子の方が年上である、ということは?大海人皇子は高句麗の宰相で大将軍の淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)で、中大兄皇子は百済王子ヒョーギ(漢字変換ができないので以降カタカナで)だと言われたら? さらに天智天皇は正式には即位していない、ということは?これらは聖徳太子が実在しないと同じぐらいアンビリーバブルですよね。
    しかし、古代の東北アジアは思った以上につながっています。大陸と半島と島(日本)は三つ巴になって発展していたと思われます。日本初代の天皇天武は初めて“日本”という国号を使い、初めて“天皇“を名乗り、初の貨幣である”富本銭”を発行した人物、そして晩年異常なほど“仏教”に傾倒した人物です。『日本書紀』を編纂させたのも天武です。したがって日本の天皇制を確立した天武が投影されているのが神武天皇でしょう。その意味では『日本書紀』はまったくのデタラメではなく、年号を水増ししたり実在の人物を架空の人物に投影したりしてはいますが、それを解読できる人間にとっては真実を教えてくれる貴重な歴史書と言えるでしょう。

その40     古代朝鮮の高句麗の大莫離句支(大宰相)で大将軍だった淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)は朝鮮の人なら誰でも知っている英雄です。日本ならさしずめ織田信長のような、、、。『金海兵書』を著した兵法家で、陰陽道にも秀でていました。トレードマークは、赤毛・赤髭と、背中に背負った5本の刀。ライバルは中国の唐帝国の名君、二代李世民(太宗)で、何度も死闘を繰り返し、その戦いの傷が原因で李世民は命を落としています。
    そんな有名な朝鮮の英雄が日本の天皇になれるの?と思いますよね。答えは「なれます」です。百済の政変で追放されたヒョーギ王子=中大兄皇子の母は、日本に来るなり皇極天皇になりましたから。さらに斉明天皇として重祚したほどです。そもそも斉明天皇の夫である舒明天皇は百済の30代武王その人と言われています。武王が亡くなった時の葬儀は「百済の大もがり(日本の古代の葬儀儀礼)」。百済を追われたのは母斉明(寳女王)、息子中大兄、その双子の妹間人(はしひと)王女、中大兄の異母妹鏡王女、斉明のブレーン額田王の5人。追放したのは百済最後の王、義慈王。そして鏡王女の母は、新羅の善徳女王の妹善花(ソンファ)王女で、その息子つまり鏡王女の兄が義慈王です。武王は若い時、母と2人で貧しい暮らしをしていました。山芋を掘って家計を助けていましたが、善花王女に一目惚れ、薯童謡というわらべ歌を流行させ、思いを遂げました。
   今はボーダーレス時代と言われていますが、先進国は軒並み移民を排斥したり、隣国とトラブルを起こしたり、エスノセントリズム(自民族第一主義)に陥っています。ボーダーレスなのはマネーと安い労働力だけ。それに比べれば古代の日本、朝鮮、中国は大きな塊だったようです。古代だけではなく、中世13世紀のモンゴル帝国はユーラシア大陸の5分の4を支配しましたし、14世紀秀吉の朝鮮出兵も、実は中国の明帝国をを手に入れるためだったというのも、あながち秀吉の認知症による妄想ではなく、本気100%だったかもしれません。

その41     高句麗のヨン・ゲソムン=天武天皇は、高句麗の統治を3人の息子に譲って、日本の支配に専念しました。天武天皇の妻は吉備(岡山県)の馬飼、製鉄豪族の娘持統。そして持統の姉が天武の母親でしたので、持統は天武の叔母にあたります。天武は大海人時代から、美濃国に湯沐邑(ゆのむら)=領地を持っており、持統の兄の多臣品治がそこを管理する湯沐令(ゆのうながし)でした。天武の家系と持統の家系が密接な協力関係にあるのがわかります。
   持統の兄の品治の祖先は、2世紀の日本に渡った新羅皇子天日槍であり、世が世なら天皇の位についても不思議ではない家柄です。しかし結局は天武と持統の臣下として終わります。また品治の妻も名門の出で、息子はこれまた有名な役行者です。役行者は山岳信仰の祖で、あまりのスーパーマンぶりに、半ば神格化され、その実在が疑われるほどですが、れっきとした歴史上の人物です。後に、文武天皇に対抗して天皇即位を狙っているという讒言にあい、投獄されたりもしています。この文武天皇が古代史の最も意外な人物で、従来の持統の孫で25歳で死亡したとされる文武天皇ではありません。

その42    天智は暗殺されました。山城野の鹿狩りの時です。天智から離れ天武と手を結んだ藤原鎌足と天武、品治らによって暗殺計画が練られました。暗殺を命じられた品治が臆して手が震え、矢を射ることができなかったので、やむなく天武みづから手を下しました。天智は即死せず、「青に殺られた」と言い残し息を引き取りました。鎌足も騒乱の中で落馬、脊椎を損傷して寝たきりとなり、半年後合併症でなくなりまし
た。この後天武は吉野に逃れ蟄居し、政権取りの機会を待ちます。
    戦前の京都大学考古学チームが、ミイラ化した老人男性の遺体を発見、宮内庁の命令で極秘のうちに埋め戻しましたが、その際レントゲン写真を撮って記録してほぞんしていました。戦後そのフィルムが発見され、修復されましたが、その所見を記録した医師は、「疾走する馬から落ちたのではないか」と推察、日本書紀の記録と照らし合わせて「山城野の鹿狩り」の時に落馬事故があったのではないかとまで言い当てています。

    ✴️万葉集1-28  倭皇后(天智の正室)作
         「青にやられた!」遺言なさる上様を見つけ、籠を止め
                  お乗せしましたが、すぐ息をおひきとりになりまし
                  た  まことにお可哀想でした
                         

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