絵ピソード4

その19      青森県の津軽地方にある共学の私立高校。その非常勤講師になった私は、教育実習のノリで津軽に出かけました。同じ東北という安心感があったのでしょう。しかしそこは全くの別世界。まず言葉がわかりません。まるでフランス語を聞いているようでした。「わだば」「〜はんで」「まいね」「わいは!どんだば!」などなど、、、、。しかも季節は秋から冬にかけて。津軽平野の地吹雪の凄さは、今まで体験したことのない猛烈なものでした。冬のある日弘前の中三デパートの前でホワイトアウトに襲われ、「ここはどこ?私はだれ?」状態になって大慌て。まさか街の真ん中のデパート前で「遭難」しかけるとは。
   2月の厳寒期、職場の同僚たちと岩木山スキー場に行きました。一泊二日、知り合いの山小屋を貸してもらったということで、るんるんと出かけました。ところがなんと、その山小屋は暖房がなく水道も通っていなかったのです。ガスレンジはかろうじてあったので、雪を溶かしてカレーを作りました。真っ白な雪は、溶かしたら不純物だらけの汚い水になり、雪は汚いものなんだということを始めて知りました。その晩はスキーウエアを着込んだ上に、ありったけの布団をかけて寝ましたが、寒くて寒くて歯の根も合わず、一睡もできませんでした。しかし翌日の岩木山スキー場は眼下にパノラマの景色が広がる絶景で、若かったので疲れ知らずに滑りまくりました。

その20      津軽平野での6ヶ月間、なんの教科を担当したかというと、政治経済、現代国語、家庭経営です。私の教員免許は社会科ですが、臨時免許を申請すれば、他の教科も1年間担当できるのです。それにしても現代国語はともかく、家庭経営をどのように教えたか(一応教科書はありますが)我ながら冷や汗ものです。新米先生に対して、生徒たちはとてもフレンドリーで、下宿先にもよく遊びにきてくれました。契約期間の6ヶ月が過ぎてお別れの時、強く思ったのは、教師は6ヶ月だけといって引き受けるような腰掛け仕事ではないということと、岩手に戻ったら必ず教師になろうということでした。幸い盛岡の私立女子高校で社会科の先生を募集しており、1974年4月から勤めることになりました。

その21     私にとって超ラッキーだったのは、私立の女子校に就職できたことでした。職員室の男女構成はなんと女性4対男性1。圧倒的な女の園でした。公立高校の先生はほとんど男性である時代、一般企業を受験できるのも男子のみの時代、これはとんでもない僥倖でした。特に年配の女性教師の方達は、溌剌として自由で、ピンクやレモンイエローのスーツを来てらっしゃる。なんて素敵なんだろうとうっとり。公立の共学育ち、大学は私立だけど共学だったので、女子校知らずのガサツな私ですが、初日は紺のパンタロンスーツ、2日目にはピンクの花柄のミニワンピースで出勤しました。ただ私の服装は、あれこれ言われることはありませんでしたが、生徒にとってはびっくりものだったようです。高三の政治経済の授業を担当しましたが、一年後の最後の授業の時、1人の生徒が私に一枚の紙を手渡しました。なんと1年間の授業で私が着た服を、模様や色まで詳しく書いた一覧表でした。服装は個性ですから、初年度から私は個性を全開にして働くことができたということです。

その22     もう一つラッキーだったのは、私は小さい頃から読書が好きで、今では活字中毒の域に達しています。本を読んでると親には叱られました。本を読んでる暇があったら、掃除の一つもしろ、というわけです。ところが、教師にとって読書=教材研究です。しかも社会科ですから幅広いジャンルの本を読み、深い教養を身につけることが社会科教師としての第一条件になります。大好きな本を読むことが即仕事になるなんて、なんと嬉しいことなんだろう。それなのに、なぜ私の将来就きたい職業の選択肢に、教師がなかったんだろうと不思議になります。婦人警官、国際諜報員(スパイ)、通訳、新聞記者など、憧れの職業は次々変わっていきましたが、ついぞ教師になろうと思ったことはありません。たまたま大学改革があって、たまたま転部して、余剰時間が生まれてたまたま取得した教員免許が私の人生を決めました。

その23     2019年度で、46年間の教員生活が終わります。60歳定年のはずが、さらに10年間、非常勤講師として働き続けました。なぜなら、団塊世代より前の年代の方より退職金が3分の2に激減し、それと連動して年金が3分の2に減らされ、しかも満額支給は65歳からになりました。否でも応でも働き続けるしかありません。急激に年収が減った被保険者(私たち)対象に雇用保険から2ヶ月で3万円ほど支給がありました。国の団塊世代対策なんだ、と気がついた時には後の祭り。全く東大出の官僚の頭のよいこと。自分たちはどんなに世間の批判があっても、天下りと渡りを繰り返して億という退職金を手にし、恬として恥じない。池袋を暴走し、母娘を轢き殺しても逮捕されず、従って容疑者ともよばれず、87歳になっても天下り先の現役で、マスコミに元院長と呼ばせ、上級国民という階級を国民に知らしめたエリート官僚。今までに、莫大な年金積立金をなんやかやと失っても責任を取るでもなく、支給対象人口が大幅に増える団塊世代の退職時期をターゲットに、退職金も年金も大幅に減らした政府、与党と官僚にしてやられました。
   

その24     やむなく働いた10年間の非常勤講師生活は、しかしストレスフリーの極楽生活でした。だって授業だけやってればいいのですから。教師の仕事は多岐にわたっています。授業をする教科指導の他にも生活指導、進路指導、特別活動(委員会やクラブ活動)指導、生徒募集活動や様々な校務分掌。行事も多く、入学式に始まってオリエンテーション、合唱コンクール、体育祭、文化祭、課外、夏季合宿、修学旅行、入試、修了式、卒業式。そしてそれらの活動をするに当たっての大小さまざまな会議。年4回の定期試験、平常点の算出のための小テストの採点や課題の点検。全く息つくひまもありません。大会の多いクラブ活動の顧問になれば、土日もほとんどなく長期休暇も多くは休めない場合もあります。これほど多方面の指導をしている学校は日本だけのようですね。まさにガラパゴス。
   そして大変な思いをする分、高校生と触れ合う仕事は感動や、やりがいを与えてくれるのも事実です。高校生時代はpureで、powerfulで、prettyな3P時代。大人でもなく子供でもなく、特別な感性としなやかさと底力を持っている特別な時期です。その生徒たちと同じ校舎で暮らせる大人は教師だけですから。

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