42 古代の表玄関

2020年12月29日 11:00

万葉集18−4071   大伴家持

4071、天平21年3月 作者:大伴家持
之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米

従来訓
しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ

真の歌意
品物を包みに行け。越は橘を後押ししてくれ。育ててくれ。勢力の維持、防備、すべて劣勢で不足しているので。

 能登半島一帯の湾岸は、大陸や半島に向けて大きく開かれていた古代の表玄関だ。当時の先進文化、特に新羅、高句麗の文物はこの玄関口を経て、滔々と日本に流れ込んでいた。8世紀の越には高級舶来品が大いにあふれていた。
 韓国語の包む(サダ)と買う(サダ)は古代においては同意だった。買うことは包むことだったからであろう。大伴家持は冒頭で「越は豊かな国だ」と讃えているのだ。越は人里離れた不便な場所だという固定観念は「しなざかる」と「ひなざかる」の混同にその一因がありそうだ。
 8世紀、韓国語はもう大幅に日本語化されていたことが、家持の歌からよくわかる。「橘」は橘諸兄のことだろう。大伴家持は橘諸兄と親交があり、諸兄は大伴家存続の鍵を握る人物だった。

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