2113、(詠花)
手寸<十>名相殖之名知久出見者屋前之早芽子咲尓家類香聞
従来訓
2113、手寸十名相植ゑしなしるく出で見れば宿の初萩咲きにけるかも
真の歌意
全部ひとまとめにして助けよ。財を殖やすこと、これ厭わしく。出てみよう。隠れ家前のバヤ(刀殺)バッキ(地位剥奪)。穂積皇子らを隠れ家に連れて行こう。
万葉集巻10の秋雑歌。花を詠む34首は2首を除いて「萩」「秋萩」の歌で埋め尽くされている。しかし、秋雑歌(ジャブノレ)は「政権取りの歌」であって花を詠んだものではない。「花」はゴジ=挿すもの。これは「(刀を)刺す」つまり「殺す」意に通じるところから「花」は「殺害」の意に使われることになる。
一方、「秋」という言葉には「奪われた」の義がある。秋の収穫は農民にとって「奪われるもの」であったことによるのだろう。万葉集にある「秋」は「奪われ」を表しており、秋雑歌は恐ろしい闘争歌であったことがよくわかる。
霊亀元年(715)7月27日穂積皇子が死んだ。それに先立つ6月4日には長皇子が死去。そして9月志貴皇子が没する。6月から9月までの4か月に「皇子」が三人立て続けに死んだ。この変事に関わる作品が10−2113なのである。第二句最初の字「殖」は「増やす」「増える」の意味。「子孫を増やす」「財産を増やす」のは藤原不比等。要するにこの歌は反不比等派によって詠われたものである。
不比等の孫首皇子の即位を天下は挙げて反対した。その熾烈を極めた戦いの最前線にいたのが穂積皇子である。穂積は真っ向切って、首皇子の立太子に異を唱えた。715年の9月には、元明天皇が双子の姉、阿於元正天皇に譲位する。二人は不比等の同母姉で、文武なき後、聖武即位までのつなぎの天皇として、不比等によって即位させられた。
長・穂積・志貴はすべて親文武系で強烈な反不比等派の重鎮。最高位層三人の皇子たちは、すべて不比等によって「消された」のではないか。「屋前之早芽子」は「隠れ家前のバヤ(刀殺)バッキ(地位剥奪)」。何と反不比等派の最高位三名は、相次ぎ殺害されて早く死んだのである。悲惨な権力闘争を詠んだ、ほとんど全文が暗号で書かれた10−2113歌。一体作者は誰なのか。相当な高位者と思われるが、、、。