1539、天皇御製歌二首
秋<田>乃穂田乎鴈之鳴闇尓夜之穂杼呂尓毛鳴渡可聞
従来訓
1539、秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
真の歌意
ここは奪われた我々の地だ。ここから採れる砂鉄をそっくりいただこう。製鉄王のお倉にいれよ。我が穢の砂鉄を元に戻せ。製鉄王が頂いていこう。
1540、天皇御製歌二首
今朝乃旦開鴈鳴寒聞之奈倍野邊能淺茅曽色付丹来
従来訓
1540、今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける
真の歌意
金が奪われた。金盗みを尋問しながら製鉄王は辛抱してその弁明をきいてやる。この野の輩はかつて奪われた我が穢人だ。選別して味方に入れなさい。
聖武の政治的モラルや執政のあり方、および広嗣の乱当時の行幸の真相が焙りだされてくる貴重な資料である。万葉集は一首一首すべて貴重な「歴史的証拠資料であるが、これほど比重の重い歌はまれである。聖武は乱中に東へ「逃げた」のでもなく、「気が動転していた」のでもない。鉄こそ権力と富の源泉であることを、乱をきっかけに改めて痛感、鉄の産地である「東」へ急遽走ることにしたのだ。鉄の産地を押さえておくことこそ何より緊急と判断したのだろう。離京1ヶ月後「東」は完全に聖武に掌握された。