1538、山上<臣>憶良詠秋野花<歌>二首
芽之花乎花葛花瞿麦之花姫部志又藤袴朝皃之花 [其二]
従来訓
1538、萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花 [其二]
真の歌意
剥がされ奪われたものを、自ら行かれ取り戻されませ。砂鉄の出る山の尾根を、たたら場を取り戻されませ。ナデシコこと県犬養宿禰橘三千代(藤原不比等の後妻)の鉄の間も、ヲミナエシこと持統皇后の持たれていた鉄場も、アサガオ(長皇子の娘で一門の鉄の祭祀者)のところまで行って、すべてを取り戻すのです。
七という数字は、数詞であると同時に「切」の原字でもあった。弁慶の「七つ道具」はすべて斬るための武器。「春の七草」も「切る」につながる。8ー1538山上億良の歌で不審に思われるのは、最も秋らしい花が外されていることだ。それもそのはず、この歌の花々は、政敵から奪い返すべき鉄処を、草花の名にあてがって表現されているからだ。
「8−1537 秋野尓咲有花乎指折可技数者七種花 」は「秋の野に咲いている花を、指折り数えてみれば7種類の花がある」という歌だ、と学者の誰かがおっしゃると、もう絶対そうなのだろうと思い込む。一度くらいは「⁉︎」と疑ってみたらどうだろう?