1418、志貴皇子作
石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春尓成来鴨
従来訓
1418、岩走る 垂水(たるみ)の上の、さ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも
真の歌意
高位層の方々、天智の皇位継承潰しを速やかに推進してください。相手は「鉄の鎌足」の子(貞慧)を斬った。一味は集合し、正体をさらけ出したので、こちらの計画通りになるようだ。
従来訓は「岩走る 垂水の上の 早蕨の 萌え出る春に なりにけるかも」。有名な歌である。春の山の美しい情景が目に浮かぶ。でも、ちょっとおかしい。雪解け水が流れる岩の上に蕨があるはずはない。蕨は乾いた野原に生えるものだ。一見美しい情景を読んだ歌だが、実はあり得ない情景だった、という歌が万葉集には多い。しかも原文は「石激垂見之上乃佐和良妣乃、、、」。「石激」を「岩走る」とは読めないだろう。
志貴皇子は天武の日本における長男である。正室も天武の末娘多紀。同父兄妹の結婚となるのを嫌って、志貴は天智の息子とされた。実は多紀は文武と持統の娘だし、高市は天智の息子、そして天智と天武は兄弟ではない。事実の改竄が『日本書紀』には多い。だが、『万葉集』は見事にそのカラクリを暴いて見せる。