393、満誓沙弥月歌一首
不所見十方孰不戀有米山之末尓射狭夜歴月乎外見而思香
従来訓
393、見えずとも誰れ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外に見てしか
真の歌意
不比等さん、あなたの心の有り場が知りたい。あなたが恋していたのは一体誰ですか。双子女の、それも妹のようですが。十六夜も過ぎ、月は今から痩せていきます。その間、外戚の世話をされていたのですね。
世界に類例のない王統が日本にあって、双子の女性が相次いで天皇の位にあった。『日本書紀』にも『続日本紀』にもそのような記述はないが、『万葉集』には記されていて、その歌が訓める者にだけ真実を明かしてくれる。またその前提で『日本書紀』『古事記』や『続日本紀』などの史書を探すと、そこに真実が暴露されている。
満誓沙弥の俗名は、笠朝臣麻呂。彼は双子姉妹の姉阿於皇女の夫だった。不比等と関係を持っているのは妹だけと思いたい切実な気持。しかし、不比等は同母の双子姉妹のどちらとも関係があり、それぞれに娘をもうけた。射狭夜歴(イジャヨビ)。イジャは今、今から。ヨヲビは痩せる。今から痩せる。月は十五夜の満月を経て、十六夜からは徐々に痩せていく。全盛期を過ぎた女性の肉体的衰え様を、月にあてて詠みこなしている絶妙なくだりである。十六夜を「いざよい」という所以がここにあるのだ。
「歴」は「はっきり区別されている様」を表す漢字。双子姉妹ははっきり区別されていて、阿閇皇女元明が優位を保っていた。万事に控えめな阿於皇女元正は次の座を占めていた。満誓は、養老5年(721)に出家したが、この時阿於皇女元正が亡くなったものと思われる。阿閇皇女元明は、その後7ヶ月経った養老5年12月に亡くなっている。
双子姉妹の事情は、『日本書紀』清寧紀、顕宗(弘計)、仁賢(億計)天皇のくだりに詳述されている。計は重なったものの意のケ。このケは双子を示すガルと同義の古語だった。弘計と億計には姉の飯豊青皇女がいるが、これは阿於皇女元正のもう一つの顔。真の歴史は、丹念に書き込まれていく。