明日香清御原宮御宇天皇代
156、十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
三諸之神之神須疑已具耳矣自得見監乍共不寝夜
従来訓
156、十市皇女の薨(すぎま)せる時、高市皇子尊のよみませる御歌三首
みもろの神の神杉(かむすぎ)かくのみにあり
真の歌意
お墓の土が乾いています。行かれるのですね、あなたは。すぐまたお会いできるようお祈りしましょう。毒を飲ませ、とうとう行かせてしまいました。(「水」を追いやりましょう。行かれるのですね、あなたは。すぐ撃破できるようお祈りしましょう。毒を飲ませ、とうとう火をつけてしまいました。)
高市の残した超難訓歌。これは生涯持統のライバルだった額田王の娘である十市皇女が何者かに毒殺されたことを暗示する歌であり、当時の殺伐とした社会情勢が直に肌に伝わる迫力のある一首。持統は高市のことを大変強く、神経質なほど意識していた。壬申の乱後の天武執権。天武暗殺後の大津執権、大津賜死による高市執権。この間つねに政治をリードした女傑持統を余すところなく利用し、政権取りにこぎつけた文武。
十市は天智の皇子大友皇子の妻。しかし壬申の乱では夫の敵であった父天武側につき、鮎の奉書焼に密書を忍ばせて父に届けた逸話は有名である。高市が十市を殺した事実が、難訓歌であるが故に抹殺されず、今日まで残った。