16 父親斬り

2020年12月15日 09:34

万葉集2−151   額田王

151、天皇大殯之時歌二首
如是有乃懐知勢婆大御船泊之登萬里人標結麻思乎額田王

従来訓
151、天皇の大殯(おほあらき)の時の歌四首
かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを 

真の歌意
だしぬけです。やりなおしたい。父親斬り刺しも止められるから。しめゆいなさるな(葬儀をしないで)。

万葉集2−152   舎人吉年

152、天皇大殯之時歌二首、
八隅知之吾期大王乃大御船待可将戀四賀乃辛埼舎人吉年

従来訓
152、やすみしし我ご大君の大御船待ちか恋ふらむ志賀の唐崎  舎人吉年

真の歌意
八島(日本)は知っている。若い大君らが、親御様を斬り、お迎えの者も続けて刺し、早々に行かれたのを。唐の手先であるのを。

 唐の後押しにより、大津皇子が親殺しの反乱を起こしたのは、天武11年8月3日。反乱軍蜂起の報に接した天武は、その夜8時ごろ、美濃から信濃を通る日本海ルートをとって逃げようとする。敵は待ち伏せたか、天武一行と出会い、その戦乱の中で天武が没するのが8月5日。日本海岸の福井県敦賀市気比客館(現在の気比神宮)で天武は落命した。天武は610年生まれで、享年72歳。
 天武天皇は、大津皇子、高市皇子らによって暗殺された。万葉集は血みどろの歴史書である。1300年もの間、原意が全然解けずにいたために、却って生の歴史書は歪曲もされず、闇から闇に葬られることもなく、ほとんど純然たる原文のまま今日に伝えられてきている。歴史のアイロニーとはこのことか。大津皇子や高市皇子の根城は近江一帯。日本を掌握しようとした当時の強大な唐の影が黒々と浮かび上がる歌。万葉集は歴史を明かすルポルタージュである。

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