11 天才歌人 柿本人麻呂

2020年12月13日 14:12

万葉集1ー48   柿本人麻呂

軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌、短歌
48、東野炎立所見而反見為者月西渡

従来訓
48、東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

真の歌意
夜明けの星を数えていたら、明け空に草壁皇子のお姿を見かけ、ああ嬉しいと思っていると、皇子は私にお気づきになり、頷かれ、そして消えていかれた。

 人麻呂は半島生まれ。藤原鎌足の長男貞慧の息子。来日して天武の宮廷にスポークスマンとして仕えた。万葉集に457首(数には諸説ある)もの歌を残している宮廷歌人。天武と持統の子草壁皇子の舎人だったと言われている。草壁の死後は高市皇子のブレーンであった節が見える。歌から読み取れる人麻呂の性格は「冷たい激しさ」である。持統と文武の不倫に対する怒りは特に凄まじく、文武を斬れと息巻いている歌も詠んでいる。
 一説には文武との関係を批判したため、母持統に殺された、という説もある草壁皇子。亡くなった草壁皇子に人麻呂は格別の思いを寄せていた。人麻呂がたった14文字の漢字からなるこの有名な歌を詠んだ時、もしかすると安騎野では草壁王子の法事が営まれていたのかもしれない。朝鮮では法事は夜明け前に行う。「東野炎立所見而反見為者月西渡」。法事の左右の端に蝋燭を立てるが、その炎も表す念の入れよう。稀代の天才歌人ならではの作だ。従来訓は「東の野に陽炎の立つ見えて返り見すれば月西渡る」。「炎」を「陽炎」と訓み下すのは勝手読みである。

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