藤原宮御宇天皇代
28、天皇御製歌
春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山
従来訓
藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
天皇のみよみませる御製歌
28、春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山
真の歌意
春が過ぎて夏がやってくるのだろうか。白い肌着の紐をほどく貴方から、いつになく強い香りが漂います。
夫に近づいたとき、夏の香りをふと感じて「あ、もうそんな季節なのかしら」と思う。実に繊細で、女ならではの歌。初夏の寝室の情景が生き生きと浮き彫りにされている。女傑でなる持統天皇は、細やかな情感の持ち主であったようだ。持統は「白妙」という漢字に「肌着」をはじめ「新羅につながる腹そして船」など幾通りもの意味を込め、巧妙に歌を詠んでいる。持統が「天」すなわち「夫」としている相手は誰か。文武天皇その人であろう。「ようやく私たちの時代が来るのだろうか」。政権取りの歌である。
「春すぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」。とても有名な歌である。しかし、春の次は夏が来るという当たり前のことに何故感動するのか。香具山に衣を干すとはどういう意味か。儀式でもない日常で、わざわざ山の上に衣を干す必要があるのか、などよく考えると腑に落ちない点が多々ある。しかし実は違う。持統と文武の政権取りには雌伏15年の月日が必要だったのだ。ようやく私たちの時代が来るという深い感慨から生まれた歌だとするとすべて腑に落ちる。文武は手当たり次第に女たちと関係を持った。しかし持統だけは特別な存在だった。この歌が夫婦の契りを詠んだ情感あふれる歌とわかれば、持統がこの歌を読んだ気持ちがしみじみと伝わってくるのだ。