9 かぐや姫は聖徳王妃だった

2020年11月02日 14:22

かぐや姫の帰った月は、新羅の都徐羅伐の月城のことだった

 『竹取物語』も日本人なら知らない人はいない有名なお話です。、、、主人公かぐや姫は竹から生まれます。竹の一節が光り輝いていたのを不思議に思った翁が、その竹を切ると中から小さな女の子が現れました。子どものいなかった翁と媼は喜んでその女の子を大切に育てました。愛らしい女の子はやがて美しい娘に成長して、5人の地位や財産のある男に求婚されます。しかし娘はその求婚をことごとく断りました。そしてある時から月を眺めながら想いに沈むようになります。翁と媼が物思いの訳を尋ねると、月の都に帰らなければならない日が近づいてきたと涙を流します。かぐや姫の身を守ろうと時の帝も動き出し、大勢の武者にかぐや姫の身辺を警護させます。しかし、遂にかぐや姫が月に帰る日、8月15日がやってきます。天から光り輝く迎えの人々が降りてきて、宝石にふちどられた迎えの車に乗り込んだかぐや姫は、天へと昇って行きました。、、、このお話が実は歴史的事実だと言うのですから驚かざるを得ません。

 「月」は統一新羅の首都徐羅伐(ソラボル)の月城のこと。絶世の美女「かぐや姫」は、役行者の娘大姫、「時の帝」は文武天皇です。また、かぐや姫に求婚した5人の男性は、藤原不比等をはじめとしてすべて歴史上実在する人物であるということが、今日では通説となっています。すなわち『竹取物語』は、役行者の長女大姫が新羅第32代聖徳王妃になったという歴史的事実を物語ったお話であったということなのです。孫を心配してかぐや姫を娶らせたのは新羅第30代文武大王=文武天皇。しかし大姫=かぐや姫は、結局聖徳王とは離婚しています。異国の地で王妃としての重責を果たすために苦労した大姫は病に倒れてしまったのです。

 聖徳王は出宮(離婚)するにあたり大姫に莫大な財産分与をしました。豪邸もその一つですが、父親役行者も大姫と一緒に徐羅伐の豪邸に住んでいたようです。ある日本の高僧が徐羅伐の寺で講話を行った時、日本語を解する精悍な老人がその場にいて講話を聞いており、その周りをぐるりと虎たちがとり囲んでいたそうです。日本の鬼は韓国語「オンニィ=大きな人」が語源です。髪を頭上に一本に結い、虎の皮を身に纏った大柄な製鉄従事者たち。火花を防ぐのに虎の皮は不可欠です。そこから一本の角をはやして虎の皮のパンツをはいている日本の鬼の姿が生まれました。役行者は統一新羅においても製鉄に勤しみ、大勢の部下を引き連れて、日本から来た高僧の話を聞きに来たものと見えます。大姫は、異国の地での、慣れない王妃としての重責の日々の末、病死したとみられますが、孫である新羅聖徳王に大姫を娶わせた文武天皇の死後、日本と新羅の関係は悪化の一途をたどります。

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