『源氏物語』の「宇治十条」に「役行者」こと八の宮が登場する。八の宮は源氏の弟とされている。かつて春宮の地位に押し立てられようとしたが、策謀は失敗し、そのため不遇な境涯を余儀なくされ、宇治川のほとりに2人の娘と共に住み、俗体のまま仏道に専心する日々を過ごしている。この八の宮長女大君が、他ならぬ「かぐや姫」である。大君は病死し『源氏物語』におけるかぐや姫のモデルは姿を消す。
ところでかぐや姫は716年「出宮」する。なんと離婚しているのである。「出宮」するにあたり王は「絹500匹、田200結、米一万石、宅一区」を王妃に与えている。驚くほどの財産である。特に家屋は「庚申公の旧邸を買い取ったもので豪邸であった」とされている。結婚13年後の離婚理由は明らかにされていない。大君は病死しているので、聖徳王妃もおそらく病床にいたのではないかと思われる。異国での重責の日々の辛さが思いやられる。聖徳王との間に皇子重慶太子が産まれていたが聖徳16年6月に亡くなっている。父役行者もおそらく娘に付いて新羅入りしていたものと思われる。特に離婚後は娘の家に同居していたのではなかろうか。
「かぐや姫」の名はなぜ「かぐや」なのだろうか。「か」は「ガ」、「ガルダ」つまり「砕く」「研ぐ」ことを表す短縮語である。「ぐ」は「グブ」、「グ」、「焼く」の意味のグブダの語幹である。「や」は「ヤ」、「国」のこと。つまり「かぐや」は「製鉄国のお姫様」という意味である。これがかぐや姫にも秘められている暗号である。かぐや姫は製鉄家門のお姫様だったのである。
かぐや姫は8世紀の新羅に嫁いだ最高の花嫁だった。華やかな時代の華やかな美人。しかしかぐや姫の一生はうら悲しい。その背後に絵役行者の影が見える。そして聖武天皇の影も……。聖武の行動に生涯「女性への冷たさ」を感じるのは「かぐや姫」への恋情を一生「恨み」のように秘めていたせいではないだろうか。