157 金庾信の長男のみならず、二男や娘さらに孫娘も来日した

2024年10月31日 20:41

金庾信は家族総出で甥の文武天皇を支えた

 金庾信の長男三光に続いて、次男の元述(ウォンスル)と娘、そして孫娘(元述の娘)まで日本に来ている。元述の日本名は「長皇子」。正史では天武天皇の息子とされている。この名前が面白い。「長=なが」、ナガは韓国語で「出る」の意である。韓半島つまり新羅から「出てきた(やってきた)皇子」であることを表している名前なのだ。古代人の名前や諱には韓国語が隠されている場合が多い。この隠し音で人物の正体を表していることになる。
 「万葉集1-73」で長皇子こと元述は「鉄の誓い」を決然と述べている。「私は誓います。倭の砂鉄で鉄作ることを。私は迎えるでしょう。あなたが皇位に就かれる日を。その日に向けて鉄を焚くのです。海越えゆきて」。この歌の内容からして「日本にやってくる時の決意を詠んだ作」であることが明らかにされる。
 「私は誓います」としている冒頭句を「吾妹子」なる奇妙な文字遣いをすることで、「妹と子(娘)」を連れて日本にやってきた事実まで表している。これには驚かされた。この妹が金庾信の4人の娘のうちの1人である。きんゆしんのいもうととは「万葉集3-336」天皇作のくだりに登場する志斐の嫗だ。シは「鉄」、ビは「鉄刀」の意。志斐の嫗は長皇子つまり元述が日本に連れてきた「妹」で、鉄刀作りにかんよしていた「おかみ」であったとみなされる。金庾信の4人の娘。長女は金晉光、次女金信光(文武王の後室)、三女金酌光(真平王の子寶路殿君夫人)、四女金令光。来日した志斐の嫗は4人の娘のうち誰だったのであろうか。

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