紅葉(もみじ)は上代「黄葉」と表記、モミチと発音されていた。黄葉をモミチと詠んだ歌は、万葉集に64首ある。モミチとは古代韓国語でモッミチつまり「足りない」「不足」を表す。「足りぬ」「足りぬ」と合唱する歌が万葉集に少なからず存在する。
モッミチは古代韓国語であると共に現代現代語でもある。古代に使われた言葉で、現代語としても残っているものは約85%。驚くほど多くの古代語が現在も使い続けられている事実に圧倒される。日本語においても「もみじ」という紅葉をさす言葉として残されている。紅葉は水分が不足した葉が色づいて起こる。多くの「実用的韓国語」が、日本に渡って「美しい日本語」としていまなお生き延びているのである。
和銅8年(715)6月、716年8月には志貴皇子が亡くなる。高位三者の立て続けの死は当時の宮廷に暗い影を落としている。三者の死に先立つ6月25日、首皇子(聖武天皇)は遂に立太子した。「足りないこと」を意味するモッミチ。おそらく当時の宮廷には首王子をモッミチ=足りぬやつと呼ぶ合唱の声が溢れていたものと思われる。聖武の一生は、ある意味において、悲しくも厳しい仇討ちの一生であったと言えるかもしれない。自らを「奴」と呼び、東大寺の大それた大仏を作り上げた胸の底のマグマは、実は「モミチ」コンプレックスだったのかもしれない。
天平勝宝元年(749年7月2日、聖武天皇は娘の安倍内親王(孝謙女帝)に譲位した初の男性天皇となる。一説には独断で出家、朝廷が慌てて手続きを取ったとも言われている。聖武の父は柿本人麻呂(藤原鎌足の孫)、母は藤原宮子(天武天皇の孫、藤原不比等の娘、つまり不比等は天武の息子で文武の異母兄弟)である。