「日本語と韓国語は、身体語や天文語などの祖語が全然異なる。日本語のあたま(頭)は韓国語ではモヲリ、あし(足)はダリ、つき(月)はダル、あめ(雨)はビ、まるっきり違う。したがって日本語は韓国語から来ていない」。これは重要な論議の核心である。身体語と天文語が同じであれば、日本語と韓国語は同系統の言葉であるという論理につながるからだ。
結論から言えば、韓国語と日本語は同系統の言葉である。身体語や天文語のみならず、数詞に至るまで日本語と韓国語はピッタリ重なるからである。韓国語には高句麗系、新羅系、百済系の三つの系統がある。この方言差のある韓国語が各々日本に渡り日本語になった。
「足」の意の百済語アシ、「頭」の意の高句麗語チュモは「つむ・おつむ」、新羅語マリは「麻呂・麿」の意の日本語として収まっている。例を挙げればキリがない。いかに多くの新羅・百済・高句麗のエリートたちが競って日本にやって来て、文化と芸術の花を咲かせたことか、言葉はその花の実なのである。
サナギ(虫出し)------さなぎ(蛹・鐸・銅鐸)
幼虫は成虫になる段階で、脱皮、静止しているものを古代韓国語でサナギと呼んだ。サナギ音のサは「鉄」、ナは「出る」の意で、サナギは「鉄出し」につながるところから「鉄がより大量に出るように」との願いを込めて、鉄の産地にサナギ型の銅鐸を埋めた。これが地中に埋められた銅鐸の秘密である。「古代韓国語」と「鉄」が日本古代史のキーワードである。この二つを知らないために日本古代史は何から何までモヤモヤ、フワフワして捉えどころがない。