巨大な前方後円墳。3世紀後半から6世紀末に至るまで北海道、青森、秋田、沖縄を除く日本全国に5800も築造されている。岩手県の奥州市に最北のものが一つある。角塚古墳である。
長さ 486m 仁徳天皇陵 百舌鳥耳原中陵(大山古墳)
425m 応神天皇陵 誉田御廟山古墳
302m 渋谷向山古墳
208m ウワナベ古墳 872枚の鉄と農工具出土
318m 見瀬丸山古墳 欽明天皇・堅塩媛
278m 箸墓古墳 卑弥呼の墓 3世紀半ば過ぎ
韓半島にも前方後円墳は存在した。3世紀初、漢江流域に発生。主に洛東江、栄山川など韓半島南部に造成されたが、6世紀初までには韓半島からはほぼ消滅する。漢江はかつてはアリス(砂鉄水)と呼ばれていた砂鉄の川であり紀元前1世紀に百済の始祖温祚(オンジョ)が最初の都を定めたのもこの漢江べりであった。
前方後円墳。何故前部は方形で後部は円形に作られてきたのか。答えは簡単である。円形の後部は「墓」で方形の前部は鉄器の「倉庫」であったのだ。古代韓国の製鉄王たちは、なぜ延々と列を成して日本列島に渡ったのか。それは木の不足が原因であった。木と米が豊富で温暖な国日本。川には砂鉄が溢れ労働力も多い。半島の製鉄王たちが日本列島に向けて一斉に動き出したのは当然のことだった。石器時代から青銅器時代、そして鉄器時代が来てそれは今も続いている。しかしなぜか、鉄が富と権力の源であることを忘れている。すると簡単なことがわからなくなるのだ。