神ががりした神功皇后の「西の宝の山を助けよ」という言葉に背いた仲哀はその夜急病で亡くなる。この時2人の会話に登場した呪文のように長々しい神の名前「向匱男開襲大歴五御魂速狄騰尊」を読み下すと、「人を縛ったり、捻ったり、襲ったり、捻じ伏せたり、あおのけにしたりする、まったく荒々しい、水を司る、ライバル切り殺し王である尊」となり、天武の執権の過程を端的に表すものだった。特に「速狄騰」の部分は「ライバル切り殺し王」で、天智を殺して皇位に登ったことを示す。
しかし仲哀の和風諡号はより端的である。「足仲彦」は「逃げ出た男」である。身も蓋もない。事実天武天皇は、高句麗最後の大将軍にして大宰相莫離支の淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)その人である。息子男生、男建、男産をして仲違いせず国(高句麗)を守るよう言い聞かせ、自身は来日、壬申の乱という日本最大のクーデターを起こして政権を手に入れ、日本の天皇制をスタートさせる。
しかし、三兄弟は仲違いし、高句麗は唐・新羅連合軍に滅ぼされる。結果として祖国を失ったゲソムン天武は高句麗からの逃亡者、つまり「タラシナカツヒコ」でしかないのである。和風諡号の容赦のない冷徹さにハッとする。ともあれ古代韓国語で『記紀』などの万葉仮名を読まない限り、古代日本史の追求は、諡号のタラシに至るまで不可能である。