134 日本古代の黄金時代

2024年09月07日 10:10

立役者三皇子は長、穂積、志貴

 707年文武天皇が死に、715年長王子が亡くなる。長王子は新羅の大将軍金庾信の次男元述(ウォンスル)。文武天皇の強い要請に従い、日本に渡り、製鉄に一生を捧げた人物である。
 そして同年7月、知太政官事一品穂積皇子が亡くなっている。この年の9月には元明天皇が双子の姉元正に譲位する。双子の女帝は不比等の同母姉であり、文武亡き後聖武即位までの繋ぎの天皇として不比等によって即位させられた。驚くべきことに、姉妹は不比等との間にそれぞれ娘をもうけている。またこれまた衝撃の事実だが元正は2人いて、はじめの元正は元明の双子の姉だが、途中で元明と不比等の間にできた娘とすり替わっている。即ち元正天皇は2人いる。
 そして715年9月には志貴皇子が亡くなっている。志貴は天智の息子と言われているが、実は天武の息子である。父親の影武者が務まるほど天武にそっくりだった。
 長、穂積、志貴すべて親文武系の重鎮。強烈な反不比等派である。そして3人ともに相次ぎ殺された。悲惨な歴史のあり方に唖然とする。『万葉集』巻10秋雑歌に「萩」「秋萩」の歌が32首勢揃いしている理由がこれで釈然とする。「萩」は勢力を剥がされた人物と関わる歴史のあり方を象徴する花とされたのである。殺害された三人の皇子は、古代の日本を飛躍的に成長させた「古代黄金時代の立役者」たちであった。

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