『日本書紀』の斉明紀4年夏4月条に「阿部臣」が唐突に現れる。同年「是年条」のくだりには「越国守阿倍引田臣比羅夫」が登場する。前者は船団180艘を率いて蝦夷を討伐している。降伏した蝦夷に役職を授ける一方、大いにもてなして帰している。相当の権限の持ち主といえるが、名も記されていない。後者は粛慎を討伐、生きた羆2頭、羆の皮七十枚を朝廷に献上している。
この2人は同一人物の異表記名ということになっているが、初登場が略名で再登場がフルネームであるというのは不自然で、何かしらの理由がありそうに思われる。「阿部」「阿倍」はアベでオヤジの意味。特に製鉄、鍛冶場の親方をアベと呼んだ。
越国守。斉明4年(658)の時点で国守は存在しなかったが、おそらく能登半島一帯を支配していた有力者を指称する称号ではなかったか。「引田」はビゲタで辺鄙な地をいう。「比羅夫」はビラブ、借り男。「越国守阿倍引田比羅夫」は「能登半島一帯の辺鄙な地を治めるオヤジ借り男」という意味になる。顔や形、行動を親父に似せて親父のふりをする男、即ち「親父の影武者」である。天武天皇即ち淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)は赤髭で常に5本の刀を身につけていた。高句麗と日本を股にかけて戦いを続けていたゲソムンの影武者は敵を脅かし、戦わずして勝つ方法として最適だったのだ。ヨン・ゲソムンの日本における長男、志貴王子は容貌が父親に瓜二つであった。影武者として大活躍したであろう。
韓国で制作された「ヨン・ゲソムン」というテレビドラマにおけるクライマックスは、唐の二代皇帝李世民との死闘、「安市城の戦い」であるが、5本の刀を背おったヨンゲソムンが登場する。ヨン・ゲソムンは韓国人なら誰でも知っている英雄だ。その泣く子も黙る独特の容姿は影武者を作るにはもってこいだったであろう。