神武天皇の和風諡号に「やまと」を「日本」という字にあてている事実に注目したい。「倭」がはじめて日本という国号に改称したのは670年のこと。『三国史記』文武王10年(670)12月条に「倭が国号を日本と改めた。自ら日の出る処に近いからこのように名付けた」と記述されている。「倭は悪い名前なので日本と改めたと言っている。」としている。少なくても670年以前には日本は「日本」とよばれていなかったことになる。
ここで紀元前660年に即位したとされている初代の天皇の諡号に日本という漢字名が早くも使われているという不合理に気が付かなければならないだろう。いや不合理と言ってはいけないのかもしれない。天皇の和風諡号を造った人物は「神武天皇」が660年代の日本を統べた天皇のもう一つの顔であることを知悉していたと思われるからである。「磐余(いはれ)」とは何を意味する言葉なのだろうか。「いはれ」は古代韓国語のイパレ(イッパレ)の転。「立て続けに掘れ」を意味する言葉である。つまり川辺に黒く積もる砂鉄の三日月地帯を「立て続けに掘れ」ということなのだ。砂鉄を掘り集めて、製鉄・鍛治を大いにせよというという激励を込めた地名が「磐余」であったといえよう。「神日本磐余彦」は 「神の国日本の製鉄祈り男」を意味する諡号である。
『三国史記』の「日の出る処」という言い回しにも注目したい。聖徳太子が遣隋使小野妹子に持たせた煬帝への親書の中に出てくる有名な一節だからだ。「日出づる処の天子、書を日の没する処の天子に致す、恙きや」。実在しないといわれる聖徳太子の正体が天武天皇であることを示す、これまたヒントの一つといえるのではないか。