126 天皇以上の天皇位

2024年07月21日 13:12

穢と人麻呂の復権

 「日」、つまり太陽は鉄器作りを、「月」は鉄づくりを表す。従って人麻呂が大明神と呼ばれる崇められている事実の底流を流れているもの、それはやはり「鉄」なのである。学問の神様菅原道真も「明神」と呼ばれているが、ここにも鉄が厳然と控えているのだ。道真も製鉄家門の人だった。これが古代の常識である。
 人麻呂が水刑死したのは、和銅元年(708)申年のことだが、12年後の申年養老4年(720)2月に藤原不比等が死んだ。元正天皇養老5年(721)2月の「詔」は「申年」に関する恐怖で溢れている。そして養老7年(723)、元正は位を皇太子首に禅譲する。ついに人麻呂と宮子の不倫の子が天皇位についたのだ。首23歳。それは人麻呂の復権であるとともに、滅びた穢の復活も意味する。聖武は穢系の血を引く天皇だった。韓民族の穢と狛は日本に渡来しても葛藤を繰り返し、穢こと八は、漸次被圧迫階級の賎民として落ちぶれていく。ところが大ハプニングが起こる。穢系の柿本猨こと人麻呂というとてつもない天才歌人の反抗児が突如現れて、天皇の第一夫人に男児を産ませる。そしてその子がついに天皇位にまで上り詰めるのである。
 自ら「奴っこ」と称して穢系のものを次々に盗用して、かつて狛に奪われたシマ(鉄の間)をそっくり奪い返し新たに権力を固めた稀有な天皇。そのあくなき情熱は世界を驚かせた金剛大仏を作り上げてしまう。聖武が人麻呂に天皇以上の天皇位を献上したのだ。当時聖武が不倫の子であるという事実は公然の秘密であり、朝廷には聖武の即位に反対する者も多かったであろう。その中でコンプレックスをバネに穢と人麻呂の復権を成し遂げた聖武。東大寺の大仏はそれをはっきりと教えてくれる。

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