124 京都の秦氏は製鉄豪族

2024年07月19日 14:11

平安京遷都は京都の鉄を見込んでの大移動

 京都は鉄づくりの地。桓武天皇(位737〜806)の平安京遷都は、京都の鉄を見込んでの大移動だった。その中心に渡来人の秦氏(姓は太秦、禹都満佐とも表記)がいた。川と川の合流点である三角州には大量の砂鉄が積もる。砂鉄は古代製鉄の原資材である。秦氏は機織りで財を成したとみなされているが、実は賀茂川と高野川合流点に位置する三角州を占め、ここ一帯から撮れる砂鉄で大々的な製鉄を行っていたのである。秦氏の姓の太秦は「ウドゥ(受け)マッサ(上質の鉄)」が転音した言葉。この「上質な鉄受け」さんこと秦氏が鉄造りでもあったことが「うずまさ」という姓から推定されるのである。
 桓武天皇の第2皇子である嵯峨天皇(位809〜823)も鉄づくり、鉄研ぎの意のサガ、娘の皇女「有智子」も「あり(ある、あら)ち(さと)し」と読まれていた可能性が高い。アリ、アル、アラはすべて砂金か砂鉄を表した。鉄は全てを支配する。製鉄技術を身につければ食いっぱぐれなしだった。
 平安初期、驚異的な地理感と卓越した土木技術のノウハウを駆使して皇室に仕え、桓武天皇の治世に貢献した和気清麻呂は、秦氏らの協力を得て、平安京への遷都を実現させた影の立役者。秦氏は教科書にはほとんど出てこない。この渡来系の謎の集団こそ天皇家につながる重要氏族である。秦氏の歴史は3〜4世紀に遡り、ちょうど大和朝廷が成立した頃に重なる。秦氏は雄略天皇(=天武天皇)の時代には92部からなる18670人、のちに7053戸、数万人規模の存在として発展した。秦氏は大陸で財を成した有力者であり、養蚕、機織り、酒造も手がけ、楽器や紙といった文化芸術に関する教養も日本にもたらした。

記事一覧を見る