112 穢と狛の混血をヤサカ(八坂)という

2024年05月26日 10:42

八坂神社は穢と狛の混血の象徴である

 弥生時代、まず穢が日本列島にやってくる。後を追うように狛もやってくる。両者ともに鉄を持っていた。当時両者の間には鉄の産地を巡り戦いが起こる。そして狛が勝ち、穢の一部は狛に編入される。「八坂(ヤサカ)」の誕生である。穢と狛の混血。サカとは混ぜること。八坂神社は穢人と狛人の混血の象徴だった。八坂神社の祭神は素戔嗚と奇稲田姫と八柱御子神。素戔嗚は狛系、奇稲田姫は穢系、八御子神は八坂つまり混血の神である。
 狛に組み込まれた穢の子孫の大御所が他ならぬ製鉄王の多臣品治である。品治はかつての「天皇」の皇子であり、天武の皇后である持統の同母の兄である。
 一方、狛に対し頑なに抵抗していた穢の一部は、北のいわゆる穢の海岸に移り、蝦夷として存続した。「えみし」は「穢水の者」の意のエェミジから転じた名前である。またエミ(母)ジ(者)とも読まれ「母の者」「母系の者」のことにもなる。狛は父系社会に属していた。品治は「八坂入彦命」、持統は「淳名城入姫命」。品治、持統の兄妹ガ穢系製鉄王家の出身であることを端的に示している。穢が支配していた挙母が狛に支配されたのはいつ頃であろうか。7世紀後半初めて地方の官庁が置かれ、中央政府の支配を受けたと思われる。

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