103 美濃南宮神社の奇祭

2024年05月20日 09:50

毎年5月5日に行われる蛇山神事

 執権前からの天武の食邑(領地)だった美濃。極めて上質の鉄の産地であり、生糸、土器、和紙の産地でもあるこの豊かな土地を、優れた兵法家であり知略家の天武が見逃すはずはない。
 美濃一宮南宮神社には不思議な祭りがある。毎年5月5日に行われる蛇山神事だ。午前1時南宮山奥の蛇谷を出発する青龍は赤くて長い毛をふさふさと被っている。この赤毛の青龍は天武を象徴する。天武は赤毛の天皇だった。万葉集16-3811、3813にある娘子の歌は「昔別れた恋しい夫」を「左耳通良布(さにつらふ)君」と表現している。娘子は鏡王女で、昔別れた夫とは天武のこと。「さ」は鉄、「に」は丹つまり赤、「つらふ」は「…がかって見える」。「さにつらふ」君とは「鉄赤色がかって見える顔」のことなのである。天武は赤髭の男であったことがわかる。龍の子4人の「柱を激しく揺する」奇怪な踊りは、大津皇子ら息子たちの反乱によって死に追いやられた天武の悲劇を象徴するものではないか。民衆は真実を残す。
 聖徳太子という呼び名は平安時代に考案されたものであることはよく知られている。大阪市八尾市にある大聖勝軍寺は、対物部守屋戦の勝利を記念して、聖徳太子によって発願建立されたものと言い伝えられている。60年に一度しか開帳しないという植髪太子堂には、鉄矛を両手で握りしめて座っている木造りの守屋像が祀られている。守屋像の後ろにはあたかも守屋を監視するような姿の聖徳太子立像がある。この太子像は太子自作と言われ、太子自身の毛髪が植えられていたとされることから植髪太子像と呼ばれている。天武天皇と聖徳太子は、赤毛それ自体が外見の最大の特徴だったのではないか。

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