『日本書紀』はそのディテールにおいて舌を巻くほど詳細に記述されている史書であるが、「時間」「空間」「人間」の三つが根本的に歪められている。そのため「偽書」の謗りを免れないのだ。『日本書紀』の巨大な虚構を暴くため、大伴家持は『万葉集』を編み、紫式部は『源氏物語』を書いた。さもなければ、あの異様とも思われる情熱、執拗とも思われる構成欲を説明することは難しい。
紫式部は7世紀後半から8世紀初めにかけての王朝スキャンダルに精通していて、それを小説化したのだ。虚実とり混ぜて、巧妙に組み立てられた『書紀』に光を当てて、歴史の真実に迫ることこそ彼女の究極の目当てではなかったか。
『源氏物語』の光源氏は軽皇子こと文武天皇をモデルにしている。その父桐壺帝は天武天皇を表す。天武は高句麗出身者である。句麗はキィリとも発音されていた。桐壺帝の中宮で光源氏つまり夫の子と密かに結ばれる藤壺は持統皇后、古代における藤の花は製鉄の象徴だった。持統の家系は鉄づくりと馬飼いであったので、藤でネーミングしたと思われる。
まさか『源氏物語』がモデル小説であったとは‼️登場人物のほとんど全てに実在のモデルがいた、しかも三韓統一の英雄新羅の文武大王が光源氏のモデルであるとは、浮世離れしたストーリーだと思っていたが、なるほど日本人離れした小説であるのは当然か。「事実は小説より奇なり」というが、全ての事実を小説に託すという紫式部の試みには脱帽する。世界で最も古く、しかも作者が女性で、殺人が出てこない話として有名な『源氏物語』は偉大である。