96 草薙の剣

2024年05月08日 16:01

金官伽耶の建国者金首露の宝剣

 『日本書紀』によると天武4年(676年)2月新羅王子忠元が日本にやってくる。4月難波に到着。8月25日に帰国。しかし当時の新羅に忠元という王子はいない。忠元は新羅大王文武の仮名である。天武4年は文武王15年(文武50歳)に該当する。文武王は統一新羅をスタートさせた名君として名高い。文武王は天武天皇の長子である。親子対面という日頃の念願をはたすべく日本にやってきたのである。また草薙の剣に祭祀を捧げるためでもあった。草薙の剣は、金官伽耶国建国者金首露の宝剣である。草薙の剣がなぜ日本に渡ったのかは一切不明だが、おそらく金官伽耶が新羅に併合された562年、王室の誰かが日本に持ち込んだものと思われる。
 愛知県知多半島北部の知多市にある名刹法海寺の開祖道行が草薙の剣を盗んで新羅に向かったが、風雨にあって逃げ帰ったという記述が『日本書紀』天智7年(668年)に見える。この年10月に新羅は高句麗を倒して三国統一を成し遂げた。この偉業を成し遂げた新羅第30代文武大王。その叔父金庾信は金官伽耶国の直系子孫であるが、その長男三光は668年から姿を消している。
 新羅の文武大王は新羅第29代武烈王(金春秋)とその后文姫の長男と言われているが、実は文姫の姉宝姫と高句麗大将軍であり日本の天武天皇であるヨン・ゲソムン(当時15歳)の子である。文姫も宝姫も金庾信の妹である。新羅の骨品制のもとでは王になれない金春秋を王にする代わりに文武を長男にして王位を継がせるということで、金春秋と金庾信が手を結んだのであろう。

記事一覧を見る