「老い」は孤独=ウェオイから来た言葉。これがそのまま日本に渡って「老い」を意味する言葉となった。すなわち老いるということは孤独になることであり、老年はひとりぼっちになる年代であることが、日韓比較言語を通して把握される。老人の立場をはっきりさせてくれる実に適切な言語転移ではないか。
「老いぼれ」という日本語は「年をとって心身が元に戻らなくなった状態」「そうした状態の年寄り」を称する言葉だ。この「ぼれ」は「捨てる」の意の韓国古語「ボヲレ」。現代語は「ボヲリョ」。世間の役に立たず、孤独に捨てられる人、年老いて忘れられる人がすなわち「老いぼれ」ということなのだ。
韓国古語の「ビットッリ」は、へそ曲がりの意で、日本語の「一人」になった。また「ナデッジゴ」は、でしゃばりの意で、日本語の「撫子(なでしこ)」になる。へそ曲がりだから鼻つまみ者で一人になるのは合点だが、撫子は楚々とした大和撫子のイメージと合わなくてびっくりする。撫子の花は繁殖力が強く、どこにでも蔓延るので、でしゃばり。藤原不比等の後妻で、元明天皇の覚えめでたく、宮中で権勢を振るった県犬養三千代のあだ名は「なでしこ」だった。富豪車持氏の娘で鏡王女の妹分。陰謀家で、文武天皇の正妻石川刀自娘を失脚させ、息子石川広成の皇太子の身分を剥奪、不比等の三女で文武夫人の宮子と柿本人麻呂の不倫の子、首皇子を皇太子に据えた。
日本語は語族不明の言語で、朝鮮語もツングース系かと疑問符がつく言語だが、朝鮮語と日本語が兄弟であることは間違いないようだ。