92 高市天皇は暗殺された

2024年05月04日 15:31

高市皇子は天武を殺して天皇になった

 高市は天智の息子。母は北九州の海洋豪族胸形徳善の娘尼子娘。高市は天智が異母弟の大友皇子を偏愛して東宮にすえたことに激怒し、天武と父子の契りを結び、連携してクーデターを起こした。これが壬申の乱である。しかし意に反して高市は天皇になれず、天武が即位した。後日、高市は持統の暗黙の了解のもと、天武を暗殺して高市天皇になった。
 天武と持統の間に生まれた草壁皇子は、皇太子であり太政大臣だったが、28歳で突然亡くなる。「母持統によって殺された」との言い伝えがあるが、持統の指示で高市が殺したと見られる。草壁の死後、高市は皇太子で太政大臣になったが、その後即位した。百済系の復権である。しかし43歳の働き盛りで696年、高市は死んだ。「チ(王)バグイ(殺す)」という吉野で読まれた文武の歌を考えると、政変が起こって高市は暗殺されたとも考えられる。そして697年8月、71歳で文武が即位する。
 近年、高市の息子長屋王邸跡の発掘で「長屋親王」と書かれた木簡が発見されて、高市の天皇即位は裏付けられた。高市はヤマトタケルであり桃太郎であり、日本人がもっとも親近感を抱く歴史上の人物である。それが天皇でしかも暗殺されているという事実。文武天皇が持統の孫であり、25歳で即位したというのは真っ赤な嘘であるという事実。持統は天皇ではなくあくまでも皇后で、しかし天皇クラス以上の大政治家だったという事実。それが万葉集の解読で焙り出されていく。古代韓国語で書かれていたために誤読されて原文のまま残ったという歴史のアイロニーに驚嘆せざるを得ない。

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