日本でも、7世紀半ばまでは大いに肉食をしていたらしいが、天武4年4月、天武天皇は全国に肉食禁止令を出す。天武は晩年仏教に傾倒し、宗教上の理由から殺生を禁じたものらしい。以来日本人は魚、卵、大豆などでタンパク質をとる食生活を余儀なくされ、明治に至るまで「ノンミート」の生活が続いた。そのため顎の力は退行し、力強く発音されていた言葉は柔軟化、清音化された。
韓国語から日本語への変換を生み出したもの、それは漢字を読み書きし、かつ吏読という古代韓国語の借字文を日常において大いに活用していたエリート集団の日本への集団渡来だ。この知的エネルギーが古代日本の統一を可能にし、律令の制定を可能にし、源氏物語などの華麗な宮廷文化の開花を可能にした。
「従来の万葉学や語源学などにおける、非科学的で曖昧なモヤモヤした論理にはもうこれ以上黙ってはいられない。徹底的な見直しが必要である。大昔のものを解明するのだから多少モヤモヤして意味不明でも仕方がないという甘えはもはや通用しない。」と、1989年に文芸春秋社から出版された『もう一つの万葉集』の中で李寧熙(イ・ヨンヒ)氏は力説しておられる。
イ・ヨンヒ氏は小学校低学年まで日本で育ち、その後韓国に帰り、梨花女子大学英文科を卒業、韓国日報の記者として30代で文化部長の重責を担った。児童文学者としても活躍されたが、国会議員に転身。日韓教科書問題が起こった時、日韓国会議員団の一員としてこの問題解明に取り組まれた。その過程で改めて万葉集を読んだ時、古代韓国語で読まれていることに気づかれ、以来亡くなるまで万葉集の解読に取り組まれた。