73 桃太郎のモデルは高市皇子

2024年04月17日 17:50

百済の若武者=百太郎=桃太郎

 天智の息子高市。母は北九州の海洋豪族宗像徳善の娘尼子の娘。高市の別名は日本尊「(ヤマトタケル)とも小碓命とも言われる。小柄で左利き。女装して熊襲命(クマソタケル)を殺したとも言われる。双子の兄大碓命を「軟弱だから」とことも投げに殺した。大碓は愛知県豊田氏の猿投神社に祀られている。
 父である天智が息子大友皇子を偏愛することに腹を立てて天武に走り、天武と親子の契りを結んだ。しかし壬申の乱後、意に反して天武が即位し、高市の母が地方豪族の娘であることを承知で卑母を礼拝することを禁止する命令を出すなどの嫌がらせを受け、天武の実子である大津皇子や草壁皇子を抱き込んで天武暗殺計画を立てる。明日香から琵琶湖を抜け、北陸敦賀の気比から渤海に逃亡しようとした天武を待ち伏せし殺した。その殺害現場に建ったのが気比神宮である。今は焼失したが、本殿の梁に彫刻があったという。真っ二つに割れた桃の実の中に立つ陣羽織と軍扇姿のお爺さんが、左手を高く上げ、軍船を右手で胸に当て、今まさに飛び降りようとした姿の彫刻であるという。
 むかしばなしのももたろうに、桃🍑が川上から流れてくるよきの「とんぶりこ」「とんぶらこ」という掛け声がある。意味は「済州島の子」。高市は「唐小僧」とも言われていた。天武天皇=高句麗将軍ヨン・ゲソムンに勝てなかった唐が高市の背後にいて、天武暗殺を助けたのだろうか高市は天皇に即位したが43歳で暗殺され、長男の長屋王など一族も滅ぼされた。高市は『書紀』においては、神功皇后に常に付き従っている竹内宿禰の姿で描かれている。

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