70 道鏡は最高のサラブレッド

2024年04月12日 19:06

道鏡は父方も母方も文武天皇の血を引く貴種中の貴種

 聖武天皇と光明子皇后との間に生まれた孝謙女帝。女帝の病を治してから寵愛を受け、それを利用して政治を私した悪僧道鏡というのが一般的理解だが、実は道鏡は貴種中の貴種であった。父は高安王、母は多紀皇女。高安王は文武天皇と犬養三千代の子であり、多紀皇女は父が文武天皇、母が持統皇后。父からも母からも文武の血を引く超サラブレッドだった。孝謙女帝は父聖武天皇の選んだ夫たちが、いずれも水準以下の駄目な男たちで、真打ち道鏡との出会いがあまりにも遅すぎただけの可哀想なお姫様だった。
 多紀皇女は道鏡を産んでから天武の日本における長子志貴皇子と結婚させられる。多紀皇女は文武の娘であるが表向きは天武の娘ということになっている。志貴も天武の子だが同父の子供たちの結婚はまずいだろうということで志貴は天智の子とした。だが志貴は影武者が務まるほど天武にそっくりだった。そして志貴は多紀皇女の父文武のお眼鏡にかなった製鉄技術の持ち主でもあった。
 道鏡は下野薬師寺の別当に任ぜられたあと、この地で没した。墓は下野市薬師寺地区の龍興寺にあり、毎年4月「道鏡を守る会」によって供養祭が執り行われている。「道鏡を守る会」は誤り伝えられていることを正すという目的で1985年に発足。関西学院大学の中西康裕教授が「道鏡事件は創作だ」という持論を展開したり、筑波大学の根本誠ニ名誉教授が東大寺建立に尽力した高僧行基と比較しながら道鏡の偉業を紹介するなどの活動が行われている。また八尾市の生んだ高僧道鏡の真の姿を再発見することを目指して活動している「道鏡を知る会」も存在する。

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