謎の人物、古代のスーパーマン役行者はれっきとした実在の人物で多臣品治と白専女(刀自娘、トラメ)との間に生まれた人物であり、天皇の座を狙うものとして文武天皇に追われていた。息子を案じた白専女はついに夫品治を殺し、その後を追って自死した。役行者は新羅の聖徳王に嫁いだ娘と共に、後半生は新羅で暮らした。
日本の高僧が新羅に赴き講話を行った時、聴衆の中に日本語を話す老人がおり、その周りをずらりと虎が囲んでいたという記録がある。製鉄作業者は火花を避けるため虎の皮をかぶって作業したという。日本の鉄の大御所、多臣品治の息子役行者は新羅でも製鉄に励んでいたことだろう。虎の皮の作業着を着た部下たちが講話を聞きにお供したということになる。日本の「鬼」は頭に角が一本あり、虎皮のパンツをはいている。これは古代朝鮮人の製鉄作業者の格好だ。長髪を頭の上に一本に結って、虎の皮をまとった大男の姿である。
かぐや姫こと聖徳王妃は716年に出宮する。つまり離婚しているのだ。出宮にあたり、王は「絹500匹、田200結、米1万石、宅一区」を王妃に与えている。驚くほどの財産である。特に家屋は「康申公の邸宅を買い取ったもので豪邸であった」とされている。結婚13年後の離婚理由は明らかにされていない。
『源氏物語』の「宇治十帖」に「役行者」こと八宮が登場する。八宮は源氏の弟とされている。かつて春宮の地位に押し立てられようとしたが、策謀は失敗し、そのため不遇な境涯を余儀なくされ、宇治川の辺りに2人の娘と共に住み、俗体のまま仏道に専心する優婆塞の日々を過ごしている。長女大君が他ならぬ「かぐや姫」であり、大君は病死し、『源氏物語』におけるかぐや姫のモデルは姿を消す。つまり聖徳王妃もおそらく病床にいたのではないかと思われる。それが離婚理由であろう。異国での重責の日々の辛さが思いやられる。