源氏物語は史上最古の長編小説で、しかも作者は女性。すごいとは思うが、光源氏のプレーボーイぶりが現実離れしていて、胡散臭く、どこが面白いのだろうと思っていた。ところが光源氏には実在のモデルがいた。光源氏のみならず、ほとんどの登場人物には実在のモデルがいた、と言うのだから驚く。
例えば桐壺帝は天武天皇、桐壺帝の皇后で光源氏と密通した藤壺は持統皇后。持統の姪の正室葵上は名門のお姫姫石川刀自娘。紫の上は藤原鎌足の娘五百重娘。六条御息所は藤原不比等の同母姉元明天皇。夕顔は元明天皇の双子の姉阿於皇女=元正天皇。頭中将と冷泉帝は藤原不比等。柏木は柿本人麻呂。桃園式部卿は持統の兄多臣品治。明石入道は新羅の金庾信大将軍の長男三光。明石の姫君は三光の娘。光明子皇后は三光の娘明石の姫君の娘つまり三光の孫娘で父は文武天皇。薫は聖武天皇、、、。さすがは「日本紀の局」と言われた源氏物語の作者紫式部は、7〜8世紀の上流社会の事情に精通していたらしい。
では肝心の光源氏のモデルは一体誰❓それは新羅第30代文武大王その人である。文武大王は三韓統一を成し遂げた名君であったが、韓半島の支配を諦めない執拗な唐の策謀を未然に防ぐため、681年日本に亡命した。雌伏15年後、持統皇后の強力な後ろ盾のもと、文武天皇として即位し、10年間の統治によって日本の律令政治を確立した。父天武天皇自体が、高句麗の宰相を父に、日本の名門一族である持統皇后の姉を母に生まれた大海人皇子こと高句麗の大将軍の淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)である。日本史上の文武天皇は、持統皇后の息子であり、15歳で即位し、25歳で亡くなった天皇であると言われている。日本亡命後文武天皇として即位するまでの15年に、統治した10年を加えるとちょうど25年。持統の庇護があってこそ天皇即位にこぎつけたのだから、息子のように守られたと言えるだろう。巧妙に改竄された驚愕の史実を紫式部は全て知っていた。しかし事実は書けない。そこでわかる人にはわかるモデル小説として秘密を明かしたのだろう。まさに「事実は小説より奇なり」である。